社長の夢実現への道

松永安左エ門が率いた東邦電力の経営理念を考察する

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松永安左エ門が率いた東邦電力の経営理念を考察する

今回のコラムは、少し珍しい内容にしようかと思います。「今は無き企業の経営理念を考えてみよう」という試みです。

対象とした企業は、タイトルにもある「東邦電力」です。

東邦電力とは、戦前に実在し、激動の日本経済をエネルギーで支えた日本最大規模の電力会社です。

その経営の中心人物は、私が尊敬して止まない、松永安左エ門(まつながやすざえもん、1875~1971)先生です。松永安左エ門は、東邦電力の二代目社長ですが、初代の頃から実質的な経営者としての仕事をなさっていました。

日本の10電社で働いている方で、50代以上の人であれば、東邦電力や松永安左エ門の名前を耳にされたことがあると思います。しかし、それらの電力会社の子会社であれば、経営陣でさえこれらの名前を聞いたこともない人が多いことでしょう。

松永安左エ門は、戦後に小田原の三茶人の一人として有名でした。茶名は、松永耳庵(じあん)です。

私は年に1回くらいは、松永先生が晩年にお過ごしになられた松永記念館の老欅荘(旧松永安左エ門亭)に訪れ、そこの大広間で瞑想をして、自社や日本、世界の未来について考える時間を取るようにしています。

前置きが長くなってはいけませんから、さっそく話を進めたいと思います。

東邦電力とは?

今ここに東邦電力の社史があります。とても重たい社史で、ページ数は600ページを超えており、歴史が詰まっている感じがします。

東邦電力の発足(1922年)

東邦電力の発足は、今から100年以上前です。最後の付録にある電力会社の合弁の図を見ていると、めまいがしそうなくらいに、当時の複雑な事情を読み取れます。

東邦電力の発足を簡単に述べるならば、もともとは福沢桃介(ふくざわももすけ、1868~1938)が経営していた名古屋電灯が中心だったのですが、経営の悪化によって松永安左エ門に援助を打診し、関西水力電気と合併し、関西電気が発足しました。それが後に九州電灯鉄道と合併して、日本最大の電力会社として、東邦電力に社名変更します。

松永安左エ門は、東邦電力の社長を二代目として1928年~1940年まで勤めました。

この時期は、日本が紡績で富を築き、工業化の時代へと進んでいたときです。豊田佐吉先生がお亡くなりになった時期でもあり、本田宗一郎先生がアート商会浜松支店を開業させた時期でもあります。

福沢桃介と松永安左エ門は慶応大学での朋友で、松永安左エ門はそれまで兄弟子である桃介からいろいろなアドバイスを得たり、事業資金を福沢桃介からもらったり、食べさせてもらったりして助けられていました。それらの恩返しも考えて、経営難に陥っていた名古屋電灯を助けたのだと思います。

当時日本最大の電力会社だった東邦電力は、今や存在しない会社です。現在、日本の電力会社は10電社ですが、東邦電力は中部電力、関西電力、九州電力、そして東京電力の一部を合わせたくらいの、巨大な商圏を持った電力会社でした。

東邦電力の解散(1942年)

大戦前に、電力会社がすべて国営化されたときに、官僚を心底嫌っていた松永安左エ門は、電力事業から一切身を引いてしまいました。そのときまで存在した会社でした。

ちなみに、松永安左エ門は戦前に講演会で「官僚は人間のクズです」と堂々と発言し、命を危うくもしたことがありました。それくらい官僚を嫌っていました。電力事業は、土地の買収や営業許可を頂くための面倒な三顧の礼も必要とし、官僚や政治家が口を出してきやすい業界でしたから、松永安左エ門は彼らの対応に苦心していたものと思います。

官僚による統制ではなく、自由競争こそ、日本を豊かにする唯一の方法だと信じ切っていたのだと思います。この辺りの考えも、経営理念に盛り込むべきでしょう。

松永安左エ門の経営理念はおそらく「社是・社訓」

松永安左エ門の経営スタイルを研究していると、経営理念をとても大事にしていたものと感じます。その経営理念がどのようなものだったのか、入念に調べているのですが、発見できていないため、ここで考察したいと考えます。

当社は、ドラッカー理論、一倉定理論、稲盛和夫理論など、さまざまな経営理論をベースに、成長企業の経営理念を研究していますが、東邦電力の経営方針や成長の仕方、部下指導の仕方などから、「当時に経営理念を立てるとしたら、このような経営理念だったのだろう」と推測いたしました。

そして、「経営理念」という名称ではなく、おそらくは「社是・社訓」という名称が使われたものと推測します。

大正時代から昭和の初期にかけて生まれた会社は、社是や社訓を立てることが基本でした。トヨタ産業技術記念館に勉強しに行ったときに、旧豊田紡織本社事務所の1階に、額縁に入った豊田佐吉先生の「社是」が掲げられていたことを思い出します。戦後から「経営理念」がよく利用されるようになりました。

さて、社是とは、会社が是とする考え方です。社訓とは、自社で成果を出すための働き方です。社是は一文であったり、箇条書きであったりします。社訓は箇条書きが多いと思います。

社是と社訓が組み合わさり、それが浸透して、それに基づいて事業活動をし続けていくことで、会社に永続性が生まれます。

経営理念とはどういったものか?

そもそも経営理念とはどういった内容になるのでしょうか?

経営理念を初めて作成しようと志した人は、必ず「経営理念」という言葉の定義に迷ってしまいます。経営理念を入念に策定しようと志した方は、経営理念に似た言葉がたくさんあるので、それらの違いを考えることから始めることにもなります。

例えば、「目的と目標の違いはなんでしょうか?」と問われたら、どのように答えると、最適解と言えるのでしょうか?

例えば、「どちらも目指すものであるが、目的は長期的、目標は短期的なもの」と定義する人もいますし、「定性的に目指すものを目的、定量的に目指すものを目標」と定義する人もいるかもしれません。しかし、定性的に目指すものでも、「地域の方のすべてが幸福になることを目標とする」といわれる方もいらっしゃいます。

数千社の経営理念を調べていると、さまざまな経営理念用語が使用されていることに気が付きます。そして、それぞれの企業でそれらの意味が異なることに気が付きます。つまりは、経営理念は、通年的な意味は曖昧なので、経営理念を策定する前に、自社オリジナルの経営理念用語の定義を考えることから始めると、混乱少なく経営理念を策定できるのです。

そして、経営理念の中に、次の内容が盛り込まれることで、発展性と永続性が保たれやすい傾向があります。

  • 事業経営を通じての自社独自の社会貢献
  • 自社が実現を目指す理想の姿
  • 社員が成果を出し、社員を幸福に導くこと
  • 自社の活動に対する社会的責任を取ること

それらの内容は、社長の人生観、宗教観、死にもの狂いで行ってきた事業活動にて得た悟りから来るものです。他にも、今まで先輩たちから学んできたこと、体得してきた処世術なども含まれます。

そして勘違いをしてはいけないのが、「経営理念は、それらを一言でまとめたもの」と考えることです。一言で考えた一文を経営理念と定義する場合もありますが、その一言で仕事ができるわけではなく、それを具体的に解釈しやすくするために分解した何かが必要です。それが、行動指針や経営指針などと称して、経営理念にパーツとして付随します。

東邦電力が活躍した時代は昭和初期ですから、「社是」と「社訓」という言葉を用いたいと思います。そして、先ほど述べた一言を社是、社是を具体的に判りやすくするための行動を社訓と定義いたします。

松永安左エ門が率いた東邦電力の経営理念を考察する

東邦電力社是(架空)

我が社は、日本一高品質で廉価な電力を供給し、日本の工業と経済の発展並びに全ての国民の豊かな生活に貢献せしむる崇高な志を掲げ、その実現の為に不断の努力と不屈の挑戦を旨とする。

東邦電力社訓(架空)

  • 高品質と廉価の両立
  • 人を伸ばし活かす
  • 現場主義

なぜこのような内容にしたのか、架空の社是・社訓を解説いたします。

東邦電力の社是(架空)の解説

架空の社是「我が社は、日本一の高品質で廉価な電力を供給し、日本の工業の発展と全ての国民の豊かな生活に貢献せしむる崇高な志を掲げ、その実現の為に不断の努力と不屈の挑戦を旨とする。」を分解すると、次の3つが経営指針となります。

  • 志の経営
  • 科学的経営
  • 粘りの経営

この3つの経営指針は、松永安左エ門が後継社長を育てるために自分の分身をつくっていく必要があるときに、「経営で迷ったらこの3つに合致するかを考えて、信念を貫くように」とアドバイスする内容です。実際にこのように言ったことは無いと思いますが、おそらくはこの3つを経営指針とすると考えました。

志の経営

最初に「志の経営」ですが、志は事業の要です。多くの社長は目標を持っていますが、志を持っている社長は少ないと思います。志無きところに組織的な企業は存在しません。会社を成長させていく社長は、何らかの志を持っているのです。

志とは?

志とは何でしょうか。「志」という言葉の定義をしたいと思います。

私自身は、自分自身の志は何かを、時折考えるようにしており、15年以上続けてまいりました。そして、過去のダメだった自分や、松永安左エ門のような尊敬する立派な先輩経営者たちと比較して、「自分はどのような志を持つべきなのだろうか?」と思うようになり、15年もの月日を費やしてしまいました。

志の定義としては、おそらくは「自分オリジナルの他人への貢献」です。会社の事業が成り立つということは、お客様に貢献して利益が得られていることを意味します。補助金や助成金をもらっていたり、年金生活が成り立っている状態で利益度外視の事業は別として、通常の企業活動が成り立つということは、お客様に貢献し利益が得られている状態です。

お客様に貢献している状態というものは、キリスト教的に述べるとするならば「愛を与えている状態」、隣人愛と言えます。志とは、「愛を与える状態を目指すこと」です。

大企業に成長していく会社というものは、創業社長が大きな志を持っていたはずです。

33歳で悟った「お返しの人生」

33際までの松永安左エ門は、それこそ自分が日本一のお金持ちになることを、経営の目的としていました。

事業に対してとても熱心に活動するため、また研究熱心だったこともあり、石炭事業を拡大していって「もう少しで日本一のお金持ちになる」というところまでになります。

その熱心さは、目を見張るものがあります。例えば、午後から一子夫人との結婚式というときに、午前中に袴を着て営業に行くほどです。お客様のところで、「誰かの結婚式にでも行かれるのですか?」と訊ねられたところ、「自分の結婚式なのです」と答えたとか。

石炭事業が好調で、自ら鉱山に乗り込んで陣頭指揮を執って、次々と投資を行っていきます。ところが、相場の読みを間違い、そこに強気の投資を行った結果、暴落が続きました。その結果、資産を失ったばかりか、借金を背負ってしまいます。さらには、建てたばかりの自宅も全焼し、それこそ一文無しになってしまったのです。

朋友であった福沢桃介は、バクチの天才でした。ところが、松永安左エ門は、ここでバクチ的経営を捨てます。そして、次にご紹介する「科学的経営」に目覚めます。バクチ的直観に頼ることなく理想を実現していく、理想と現実の融合が行われます。

さて、理想に目覚めたとしても、一文無しには変わりありません。そのような安左エ門を新婚の一子夫人が支えます。

ある日、借金取りが自宅に訪れます。一子夫人が安左エ門に、「あなた、借金取りが来ました」と言ったところ、「オレは居ないと言え!」と、借金取りもびっくりするくらいの大声で怒鳴りつけたとか。

それはさておき、そのときに松永安左エ門は仏教に目覚めます。おそらく、三法印の意味を知ったのだと思います。そして、「今まで自分が生きてこられたのは、自分の力だけではなく、多くの人から支えられてのことだ。これからの人生は、お返しの人生を歩まねばならぬ」と悟りました。

それから、次なる人生のために隠遁生活を3年ほどしながら、図書館通いをして勉学に励みます。

その悟りが、東邦電力の架空の経営理念として、「世のため人のための事業活動を志とせよ」としました。

朋友であった福沢桃介との別れ

次に備えて学習を続けている人には、必ずチャンスが訪れます。松永安左エ門は、そのチャンスをつかみ、博多の路面電車やそこに電力を供給する電力会社の事業を成功に導きます。そこで、電力事業の可能性に気が付き、ドイツに視察し、日本の電力活用の未来を考えます。

水力発電所を中心に買収していって、九州で一番の電力会社まで成長します。その後に、福沢桃介が経営破綻に陥りかけていた名古屋電灯を買収し、会社名を東邦電力に改めます。関西電力の元ともなった同和電力をも傘下にいれて、日本一の電力会社に成長させます。

そのときには、福沢桃介とは不仲ではありませんでしたが、事業に対する考え方の違いから、疎遠になっていきます。

松永安左エ門が東邦電力の二代目社長に就任したときには、福沢桃介は電力事業から名が消えていきました。

その二人の考え方の違いとは、松永安左エ門が「電力事業は公共性の高いものなので、廉価で安定した電力を供給し、利益をも出していく成長戦略を取る。それは努力精進が求められる自由競争の中でのみ実現させられるものである。」という考えでしたが、桃介は「事業は自分が儲けられたら良いのであって、リスクを取って廉価で供給したり成長させたりする必要はない。儲かるのなら投資をするし、儲からないのであれば、無理して電力を供給する必要はない。」と考えていた節があります。

事業の理想を徹底追求する

電力会社の理想とは何でしょうか?

それは、安定して安価な電力を24時間供給することです。電力は貯めることができませんから、需要に応じて発電する必要があります。そして、発電所はすぐに建てることができませんから、将来の需要を見越して投資をするわけです。

世界では、未だに停電が頻発している国があります。日本では、最近になって北海道や四国で大規模停電があり、電力が不安定になってきています。

科学的経営

科学的経営とは、入念な計画に基づいた経営スタイルなのですが、電力会社の経営は、一般的な会社の経営とは販売の部分が少し異なります。

電力は貯めておくことができませんから、需要分を発電する必要があります。多く作り過ぎてもいけませんし、少なすぎてもいけません。そのため、電力事業は発電計画の読みがとても大事になります。

そして、発電所は建設を開始しても、すぐに出来上がるものではありませんから、将来にどの程度の発電量が要求されるのかを的確に予想し、前もって建設計画を入念に練っておく必要があります。

松永安左エ門は、バクチで大損してから、直観だけに頼らずに、科学的根拠に基づいた経営を意識するようになりました。そのため、電力会社が行う科学的経営と、松永安左エ門の目指す経営が合致し、財務状況の良い経営ができていました。

その財務力と、松永安左エ門が持つ交渉力の高さによって、次々と経営不振に陥っている電力会社を吸収合併していき、地域の電力需要に対応していきました。

このような科学的経営によって、安定して廉価な電力に支えられて、中京地区、大阪、北九州などは、工業が発展していきました。

科学的経営と科学経営

科学的経営は、科学経営と異なります。科学的経営という具合に、「的」が入っているのには理由があります。それは、完全な科学経営は存在しないからです。

科学経営とは、経営のすべてを数学的に予想して行う管理スタイルです。営業、製造、開発、経理、財務、人事といったものを、すべて科学的に管理するものです。科学的に管理するとなると、過去の数字から読み解くことになり、統制経済的な経営となります。

そのため、科学経営は発展性がまったく失われてしまって、経営が立ち行かなくなるのです。

松永安左エ門の科学的経営とは、未来の理想像を実現すべく、論理的根拠に基づいて実現していくものです。最新の経理手法や新技術を導入していき、将来に予想される電力需要の伸びと価格変動などを予想しながら、経営計画を立てる経営スタイルです。

分析力と先見力

科学的経営の精度を高めるためには、もちろん分析力と先見力が必要です。松永安左エ門は、社長自らが山に登り、水力発電の候補となる場所を見て回り、情報を得ていました。当時は、どの川にも水量を観測しているところがあったようで、過去のデータにも目を通していました。

そこからどの程度の発電量が得られるのか予想し、会社がどの程度の投資に耐えられるのか、財務的な計算を一瞬で行っていたものと推測します。

水力発電所が建設される場所は、切り立った崖もあります。そういった場所に自ら登っていたそうですから、命の危険さえありました。そのような命の危険を省みずに、慎重に経営していくことは、志の実現という夢幻の部分と、科学的経営という合理性を融合させていたとも言えます。

そのような分析力や先見力があったということは、即断即決をしていったのだと思います。その早さが、企業の成長速度をも早めていたのです。

経営計画

分析力が先力となり、入念な経営計画に繋がります。そして実績もあれば、投資家や銀行などから資金を得やすくなります。

そして自由経済を貫くことで、お客様にとって理想的な安定して安価な電力が供給できるものと信じていました。

政府が電力会社の運営を行うと、確かに電気代が安くなりやすいのですが、すると利益が得られないために投資が集まりません。そこで官僚による予想で発電所を建設していくわけですが、電力以外のいろいろな場所に資金需要があるので、電力の開発が後回しになる場合もあるようです。

自由競争であればその投資が活発になり、電力需要も開発されて、電力需要が大幅に伸びて経済が豊かになっていくのです。

電力開発は大きな資金を必要とするため、予想を違えたら大きな損失になります。民間企業であれば、投資をして需要を増やしたいけれども、ムダな投資は避けるようになり、効率的な運営ができるようになります。

そのためにも、バクチ的要素を極力減らし、科学的経営に基づいた経営計画を立てる必要があります。

粘りの経営

架空の社是には、「不断の努力と不屈の挑戦」とあります。志を立て、それを実現するためには、粘りに粘り抜いて実現していくことが求められます。

東邦電力が東京電燈に戦いを挑んだときも、粘りに粘り抜いた戦いでした。東京電燈の社長は小林一三でしたから、慶応出身者同士での戦いになりました。松永安左エ門は「品質と廉価の両立」という信念を貫き、東京進出を決断し、厳しい戦いになりましたが、粘り抜いて勝利しました。

現在では、手軽に成果を出せる「やり方」が求められますが、不断の努力と不屈の挑戦をしていくためには、高い精神性が求められます。松永安左エ門は、そういった精神性の高さを求め、それを旨とする会社を構築していました。

松永安左エ門は、その高い精神力を鍛えるためにも、登山をしていたと思われます。

松永安左エ門は著書の中で、「登山は一つ違えば命を落とします。その集中には、経営に似たものがあります」というものを残しています。経営を粘り抜くためには、それだけの入念な情報収集と計画が大事ですが、粘り抜くだけの精神力の高さも必要です。

そのためにも、志を立てて、それを仏神に誓い、命をかけて経営に取り組みました。その願いは、「日本の工業と経済の発展並びに全ての国民の豊かな生活に貢献せしむる崇高な志」ですから、私利私欲ではなく、世のため人のため、多くの人たちの豊かさのためです。

社員全員がそのような志を共有し、それを大義名分として、社員全員が奮い立ち、粘り強く戦いました。そして、利子私欲のための電力会社を駆逐し、吸収合併して優良企業に生まれ変わらせて、安価で良質な電力を供給していきました。

その精神力で、戦後の電気事業再編成にも全国民やGHQさえも敵に回して、その矛先を自分自身に向けさせて、戦後の日本の経済発展にとって正しい選択を迫りました。そして、その選択によって、日本は20年後には大きく経済成長をしました。

戦後は、「日本の復興は不可能だ」とも思われていたようですが、そういった粘り抜いて正しい選択をしていく、強力な指導者がいたため、急速な戦後復興に成功しました。

東邦電力の社訓(架空)の解説

東邦電力の架空の社訓である、3つの項目を解説いたします。この3つは連動していて、3つが成り立って初めて会社が成長していきます。

高品質と廉価の両立

当時の電力会社の電気は、よく停電していましたし、電圧も安定していませんでした。電気が使えただけでも有難いことだったのかもしれませんが、怠慢の商売になりかねません。

徹底した合理化

高品質と廉価の両立には、徹底した合理化が大切です。

電力会社のような、エネルギーを生産している会社では、生産性ばかりが目立ってしまいます。例えば、「石油1リットルで何ワット時を発電できるか?」といった具合です。これは、技術革新によって生産性が高まりますから、有効な研究に費用をどれだけ投入するのかになります。現在は、コンバインドサイクル発電で、かなり発電効率が高まっていますが、そのようなシステムを開発していきます。

しかし、企業の合理化には、目に見えるものだけではなく、あらゆるものに効率というものがあります。

例えば、労働生産性もその一つでしょう。労働生産性とは、社員のお給料の単価に対して、粗利益がどれだけ得られているかを表す指標です。

社員の労働生産性を高めるためには、提供する商品やサービスの付加価値を高め、普段の作業の中のムリ・ムダ・ムラを徹底的に探すことです。

電力における付加価値は、需要家が必要としている電力を停電することなく、安定した電圧や周波数で提供することです。それ以上のことはありません。しかし、ムリしている箇所は無いか、ムダな箇所はないか、作業にムラは無いかということですから、電力の安定供給以上にアイデアの数と工夫が求められます。

実は、普段の仕事の中にはムダが本当に多いのです。「その作業は、本当に自分がしないといけない作業なのか?外注はできないか?」といった具合に、手離れを良くしていって、手隙の時間をつくって、理想の実現に向けて進歩していくことが大事です。

新技術の研究開発

電力は安定性が求められるため、新技術を導入することが疎遠になりがちです。新技術の導入によって不安定な電力となってしまったら、大変なことだからです。しかし、会社は進化がなければ、衰退していくものです。そして自由競争の中で切磋琢磨することによって、その中で生き残った会社が、優良な会社ということになります。

研究開発をすることお金がかかることですから、その費用を捻出するために、廉価な電力を供給するだけでは成り立ちません。しかし、廉価でなければ売れませんから、その結果として徹底した合理化が行われ、理想の追求を両立させた企業のみが成長できるようになります。

利益だけを追求した会社は、研究開発がおろそかになり、衰退してくのです。

そのよに、新技術の開発と利益は切っても切れないご縁です。出来る限りの廉価であることは、社是にある通りですが、適性価格で販売することも大事です。

今の電力会社は、新しい技術の導入を敬遠しがちのように思えます。政策もそのように感じます。超電導発電機を4機ほど、三菱重工や日立製作所からそれぞれ2機ずつ購入したらどうでしょうか?

人の伸ばし活かす

「人は城なり」といわれるように、会社は人によって成り立ちます。高い技術力も人があってのことです。人が育つ会社、最低でも社長が人を育てる気概がなければ、会社の成長はあり得ません。

「優秀な人材を雇ったらいいのだ」と思うかもしれませんが、実のところ優秀な人材は雇っただけでは活躍できないのです。自社にて活躍できるように育てないといけません。

公平な評価

人が育つためには、まずは経営者の公平な評価が大事です。経営者が自分が好きな人だけを高評価していたら、経営者の周りには提灯持ちやゴマすりしか集まらなくなってしまい、優秀な人がいなくなります。

すると、人の成長や会社の成長が止まってしまいます。

公平な評価は、感情によらずに仕組みで行われるべきです。そして、人物の性格ではなく、人物の強みを評価するようにします。これも経営の合理化の一つになると思います。

組合せ人事

どのような優秀な人であったとしても、必ず苦手とする分野があります。技術力がある人であれば人付き合いや報連相が苦手だったり、大きな未来ビジョンを持つ人であれば細かな作業にミスが多かったりといった具合です。

そのようなことで、人は組合せ人事が大事です。

ある大きな部署に部長を付けたら、その部長を補佐する補佐役として、副部長なり秘書なりを付けてあげることが大事です。社長の場合には、社員数が30人を超えてきたら、秘書役がいた方が良いです。事業部長も同様です。

また、社長には参謀役の人がいた方が良いです。いわゆるナンバー2です。ナンバー2は、会社の成長に合わせて交代していきます。

松永安左エ門は、最初はナンバー2として活躍して、自分が陣頭指揮を執りつつも矢面に立つことはありませんでした。東邦電力の2代目社長に就任してからは、おそらく参謀やナンバー2となる人がいたはずです。

また、松永安左エ門が電気事業再編成審議会で決定された9電社の会長と社長の人事を決めたときは、誰をどのポストに就けるのか、人物の性格や経歴などを考慮して決めました。

和して同じず。チームワークは経営理念に基づいての人事評価や人事の組み合わせが大事です。

自他のミスに鬼となる

人を育てることは、人を叱ることが大事です。怒るのではありません。叱るのです。叱るときは、基準を決めておき、その基準に合致しないところを叱るのです。基準が存在しなければ、その基準がなかった上司の責任ですから、上司が叱られるわけです。

そして、自分や社員がミスをしたときに、それを見逃したり、大目に見たりすると、ミスが許される前例になります。そこから自分や社員が、「まあいいか」と考えるようになり、堕落していくことになります。合理化をかかげていたとしても、妥協の経営になっていくのです。

学習する組織

学習する組織とは、社是実現のための学習するカルチャーのある組織のことです。

人材育成は、もちろん会社内で行われるべきですが、何も会社だけが学習ではありません。成長する社員は、自ら志を立てて会社の外でも学習しているものです。私自身も、会社の社員だったころ、仕事を終電まで行ったあとに経営の勉強を続けていたら、いつの間にか経営コンサルタントになっていました。

自慢話はさて置き、自ら学習する組織を構築しないと、社是の実現が遠のいてしまいます。

学習して成長することで、仕事を通じて世の中により貢献ができるようになる。そのことを自らの喜びとする社員で溢れている会社は、成長するしかありません。

日々進歩

松永安左エ門は、確か「1日1厘のサービス向上」を言っていたと思います。今の金額に換算すると、1日2円ほどになります。

ほんのちょっとの成長ですが、それを続けることで、会社は成長していきます。

私も経営者セミナーでときどき、「社員一人当たり、1日100円の付加価値の向上を目指すように」と言わせていただいています。社員一人が1年で220日働いたとすると、1日100円の進化ですから、1年で2万2,000円の進化になります。

会社が進化するためには、単純計算でGDPの成長率よりも売上高を成長させなければいけません。GDPの成長率が1%だとすると、350万円のお給料をもらっている人であれば、3万5,000円の売上高アップをしなければ、もらえるお給料を去年と同等で維持できないわけです。その付加価値として、2万2,000円という数字は妥当だと言えます。

現場主義

現場主義とは、「机上だけで議論をするのではなく、現場を見ること」という意味です。情報収集では社員からの報告だけでなく、現場を見るべきです。現場には、発電所の施設だけではありません。

松永安左エ門の現場主義

松永安左エ門は、需要地(お客様)や先進国の設備の視察なども行っていました。社長自ら登山をして水力発電の開発が可能かを判断しに行っていたと言いますから、そのような危険なことは、本来なら社長がやってはいけません。ですが、経営判断の情報は社長自ら出向いて情報収集することは、とても大切です。

このように、社長は空気を読むと言いますか、空気感をつかむと言いますか、高度な判断を直観で行うときの能力を高める必要があるわけです。高品質と廉価の相反することを両立するための重要な判断は、現場を見て決めていたということです。

松永安左エ門を尊敬していた松下幸之助は、ナショナルの乾電池に不良品が出たときに、乾電池と一晩いっしょに過ごして、「乾電池を温めるように」と担当に指示を出したといいます。報告書だけでは、そのような判断は下せなかったことでしょう。

製造業の三現主義

製造業の改善に取り組まれている方であれば、現場主義は当たり前のことでしょう。三現主義という言葉もあります。もっと高度なカイゼンに取り組まれている方は、6ゲン主義といった具合です。

三現主義は、現場・現物・現実の3つです。何かトラブルは必ず現場で発生しているものですから、現場を見なければいけませ。また、トラブルを発生している現物を現実のままに見ることが大事です。レポート上で見るだけでは、正しいマネジメントはできません。

そのような天才は、1万円札になった渋沢栄一や、足尾銅山の経営者だった古河市兵衛くらいのものです。

松永安左エ門は、先ほどご説明したように、水力開発には自分の足で現場まで行き、情報を得ていました。社員からの報告を当てにしてなかったわけではなく、自分の直感を働かせるために現場にこだわっていたのだと思います。

現場主義は人材を育てる

経営者が現場に入ることによって、経営者が現場でどのような判断をするのか、現場担当者が目の当たりにします。それを見て、経営者と同じ目線で現場の判断ができるようになります。

この現場主義の考え方で経営者の判断が加わり、それがマニュアル化なり仕組み化されることによって、会社が柔軟に変化できる体制になります。

経営陣の現場主義によるマニュアル化や仕組み化によって、人材が育ち、変化に耐えられる会社になります。

以上、東邦電力の経営理念を考察いたしました。

いかがだったでしょうか?

少しものたりないと感じられた方もいると思います。しかし、当時の経営理念はあまりにも項目が少なく、現場で先輩を見て覚える教育がメインだったと思われます。なぜなら、当時は丁稚奉公の時代は終わりつつありましたが、徒弟制度が当たり前の時代だったからです。

今回作成した架空の経営理念ですが、社是と社訓を作成しました。もしかしたら、社是だけを作成していたかもしれませんし、社訓だけだったかもしれません。

当時の社員は先輩からしっかり仕事を学び、「早く一人前になりたい。高いお給料を得て、親を安心させたい」という気持ちが強くありました。

今ではマニュアル主義になり、社員が成果を出せるようになるまでに、余計に時間がかかっているようにも思います。中には「仕事ができないのは、上司が仕事を教えてくれないからだ」と人の責任にする人も増えてきたように思います。そして、考え方や判断力を身に着けるのではなく、表面的なやり方だけを学び、仕事をマスターしたのだと勘違いする社員も増えてきたように思います。

仕事の本質を見抜いて、考え方を身に着け、考え方が学べる会社にして、社員を育成できる立派な会社づくりを目指していただきたいと思います。

この記事の著者

平野亮庵

経営・集客コンサルタント
平野 亮庵 (Hirano Ryoan)

国内でまだSEO対策やGoogleの認知度が低い時代から、検索エンジンマーケティング(SEM)に取り組む。SEO対策の実績はホームページ数が数百、SEOキーワード数なら万を超える。オリジナル理論として、2010年に「SEOコンテンツマーケティング」、2012年に「理念SEO」を発案。その後、マーケティングや営業・販売、経営コンサルティングなどの理論を取り入れ、Web集客のみならず、競合他社に負けない「集客の流れ」や「営業の仕組み」をつくる独自の戦略系コンサルティングを開発する。

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