米子市で美容院を経営されているオーナーと、お客様への感謝についての話題になっていたときのことです。美容院のオーナーによると、「私は、当店の常連さんのラーメン屋の女将から、お客様への感謝の気持ちの伝え方を知った」とのことでした。
ラーメン屋の女将は、70歳を超えている方だと思われます。女将の感謝の伝え方の奥に、お客様への深い感謝の気持ちがあるという結論に至りました。
ごく当たり前の結論なのですが、このことは商売の原点でもあるのではないかと思い、コラムにしました。
そのラーメン屋は、新型コロナの間も、流行っているそうです。お客様への深い感謝の気持ちから、美味しいラーメンができ、その気持ちがお客様に伝わり、流行っているのだと思います。
このエピソードをご紹介しますので、商売の原点が伝われば幸いです。
ラーメン屋の女将の感謝の言葉
7月の暑い日に、美容院のオーナーが、お昼にラーメンを食べに行ったそうです。冒頭でも述べたように、そのラーメン屋の女将は、美容院の常連さんでした。
女将は、オーナーの存在に気が付き、すぐさま水を入れて、テーブルまで持っていきました。そして、次のようにご来店に対するお礼を、心を込めて述べられました。
「暑い中でなぁ、ラーメンをなぁ、熱いのになぁ、食べに来てごしなぁだでぇ。だけんなぁ、氷いっぱいいれた水でなぁ、サービスぐらいせんとなぁ」
念のため、訳はこうです。「暑い中、熱いラーメンを食べに来てくださったので、氷をいっぱいいれた水でサービスぐらいしないとね。」
熱いラーメンは、暑い日に食べる人は少ないことでしょう。でも、わざわざ来てくださったことに、感謝を述べられたのです。
挨拶であれば、「いつもありがとうございます」で良いと思います。でも、暑い中をわざわざ来てくださったということで、深く感謝をされたことに、美容院のオーナーは感動しました。
そういったお客様への感謝が、おいしいラーメンになり、お客様がいっぱい来てくださっているのだなと、オーナーは察知されたようです。
さっそく美容院でも感謝を取り入れる
美容院のオーナーは、とても素直な方で、お客様にとって「良い」と思ったことは、すぐに改善されます。
ラーメン屋の女将の感謝の伝え方に感動し、すぐさま若い従業員に挨拶の仕方を伝えました。そして、さっそく店舗で取り入れることにしました。
しばらくして第一号のお客様が来られたので、美容院のオーナーは「暑い中、わざわざ起こしくださり、本当にありがとうございます。」と伝えました。従業員は、奥でクスクスと笑みを浮かべていました。
いきなり挨拶を取り入れることは、付け焼き刃のようにも見えます。しかしオーナーは、普段からお客様に深く感謝されている方でしたので、自然に感謝を伝えることができたようです。
まだ、この挨拶を始めたばかりなので、結果はどうなるかわかりません。そして、感謝を伝えたからと言って、売上につながるかはわかりません。
しかし、オーナーは何も「儲けたい」とか「リピート率が高まる」という浅はかな理由で感謝を伝えるのでありません。純粋な気持ちで感謝を伝えたかったのです。
いずれは、その気持ちがお客様や従業員に伝わり、その美容院で、顧客への感謝の伝え方がカルチャーになることでしょう。
感謝を伝えても集客できない八百屋の原因とは?
私のお師匠様の一人から聞いたエピソードです。とある都内の商店街で、ご夫婦で夜ごはんの買い物をしていました。その商店街は八百屋さんが2軒ありました。
1つ目の八百屋では、店前でお店の店主と女将が、商店街を通る人たちに、笑顔で頭を下げて、「いつもありがとうございます」、「どうぞお立ちよりください」と元気よくあいさつをしていました。
ところが奥様は、そこを素通りして、別の八百屋で野菜を買いました。しかも、その八百屋の店主は、とても不愛想でした。
お師匠様が奥様に、「なんで、先ほどの八百屋で買わなかったの? あそこのお店の方が、愛想がよくて良いではないのか?」と。すると奥様は、「あそこは高いのよ」と一言でした。
つまり、常連客をつくるためには、愛想よくすることは大事かもしれませんが、顧客は意外と現金な存在だということがわかります。
笑顔の八百屋は、値段が高いだけの根拠を、本業である野菜で示す必要がありました。例えば、鮮度や有機栽培、大きさ、味など、顧客が求めるもので、差別化する必要がありました。笑顔で元気よくあいさつすることは、PRの方法としては良いことですが、ニーズに応えることが集客のための必要条件です。結局は、本業での勝負で、愛想の悪い八百屋に負けていました。
ラーメン屋であれば、「おいしい」ということが必要条件、いや絶対条件でしょう。美容院であれば、「腕が良い」ということが必要条件でしょう。
しかも、これらの必要条件には、それぞれ最初に言葉が付きます。それは、「他店よりも・・・」や「家庭よりも・・・」といった比較の言葉です。
ちなみに、美容院のオーナーのお店は、なるべく髪を傷めずに髪質改善できる技術や、着物の着付けもできるという、米子市の中でも屈指の技術力をお持ちのお店です。(髪質改善美容室サロン・ド・アンジェ)
女将から教わった美容院のサービス改善のヒント
美容院には、2ヶ月に1回ほどの頻度で、ラーメン屋の女将が髪を切りに来られるそうですが、女将からクレームがあったそうです。その内容とは、
「うちは、月曜日が休みやけん、おたくに行きたくても行けん」
ラーメン屋と美容院は休みの日と、開始時間が重なっており、朝9時には仕込みを開始しなくてはならず、美容院になかなか行けなかったそうです。
それを知った美容院のオーナーは、さすがに月曜日を開店すると、従業員からクレームがあるので、それは出来ませんでしたが、ラーメン屋の女将が来られるように、予約制で早朝営業をするようにされました。
美容院オーナーのお客様を大切にしたいという気持ちから、すぐさま行動されたようで、ホームページの修正依頼もいただきました。
お客様にとって良いと思ったご要望をすぐに取り入れて、自社を変えていく。美容院のオーナーは偉いと思いました。
この早朝営業は、経営理念に沿った内容でもありました。
ご要望を取り入れすぎて何屋かわからなくなったお好み焼き屋
私の母が経営していた、田舎の駅前にあった小さなお好み焼き屋のエピソードをご紹介いたします。私が、経営コンサルタントを名乗る15年ほど前の話です。
今はもうやっていないのですが、私の母は、お好み焼きの修行をして、お好み焼き屋を開店しました。「地元の若い人たちに、お好み焼きを食べてもらって、元気になってもらいたい」というコンセプトでした。
とても美味しいお好み焼きだったので、開店直後からすぐにお客様でいっぱいになりました。
最初は、主にグルメのフリーペーパーで集客していたのですが、「コストがかかりすぎる」ということで、それを止め、それから1年ほど経過してくると、お客様が減ってきてきました。
「お客様のご要望を聞かなければならない」ということで、常連となっていた数名のお客様に、「お店に何があったらいいのですか?」と聞いて回ったところ、お店にはテレビが入り、お刺身が売られるようになり、いつの間にか、仕事帰りの一人飲みの居酒屋になっていました。
当初のコンセプトとは異なるお店になってしまい、母は腰を傷めたことをきっかけに、お店が休みがちになり、閉店させてしまいました。
お好み焼き屋の場合は、経営理念を必ずしも持っておくべきだとは思いません。経営理念でなくても、お店のコンセプトは大切にし、コンセプトに合った商品やサービスを充実させていくことが大切だということがわかります。
私が、もっと早く経営についてアドバイスができたら、もう少し経営が順調だったかもしれません。しかし、今の母を見ていると、お好み焼き屋を閉めて正解だったようですし、このエピソードは、経営理念を策定することや顧客の絞り込みをすることの大切さを伝えるための材料にさせていただいています。
人生は、どのように進展するかわからないものです。「お店が閉店したことは残念だけど、経験から学んだことを教訓として身に付いたら、それはそれで価値があるのだ」と母は言っていました。
峠の釜めし「荻野屋」の女将の感謝エピソード
心からの感謝と言えば、峠の釜めし「荻野屋」が思い浮かびます。
写真は、荻野屋神田店で撮影させていただいた峠の釜めしです。益子焼に入った釜めしのお弁当として有名です。最近では、エコ容器に入ったものも販売されています。お店のスタッフの皆様は愛想がよくて、群馬県のお酒もおいしくいただきました。(荻野屋 弦(げん)神田)
一倉先生がべた褒めした荻野屋の女将
荻野屋の感謝は、一倉定先生(1918~1999年)が行われていたゼミで、「女将に会ったとき、この口の悪い一倉が、何も言えなかった。」とご紹介されています。
ちなみに、一倉定先生は、私が尊敬する経営コンサルタントの先生のお一人で、前橋市ご出身ということで、荻野屋までは自動車で1時間ほどのところです。私が提供している経営コンサルティングは一倉理論をおおいに参考にしています。
さて、荻野屋では、お客様への感謝の気持ちをサービス化するために、さまざまな工夫をしていることで有名です。
荻野屋の創業は、1885年(明治18年)です。信越本線横川駅の駅のホームで、温かい釜めしが売られていたことは有名です。創業当時は、おむすびが売られていましたが、お弁当やお菓子などをそろえるようになりました。
1951年(昭和26年)、経営に苦労する中、就任5年目の3代目社長が若くしてお亡くなりになりました。女将であった高見澤みねじ(1916~1983)氏は、生まれつき病弱でしたが、3女の母をしつつ、4代目として後を継ぎました。
峠の釜めし誕生
女将は、経営難を打開すべく、妹の田中トモミ(後に副社長に就任、1923~?)氏の力を借りました。そして、「お客様に本当に喜んでもらえ、特色のあるお弁当を販売したい」ということや、乗客の「暖かいお弁当を食べたい」というご要望もあり、益子焼の窯元との偶然の出会いもあるなどして、苦労の末、温かくて家庭的なお弁当を開発しました。それが峠の釜めしでした。
横川駅と軽井沢との間の碓氷峠は、国内屈指の急こう配でトンネルが多かったため、国鉄に組み込まれる前から電化されていました。そのため、横川駅で電車と汽車の切り替えを行っていました。その1時間ほどの停車時間を利用して、1958年から峠の釜めしを販売するようになりました。
釜めしの材料は本当に美味しい食材を厳選することから始め、温かいというのは、保温気で温めておくのではなく、電車の到着に合わせて炊き立てをご提供するという徹底ぶりでした。厨房は無菌を維持し、保健所が舌を巻くほどでした。
現在、生産ラインの清掃は、1日に6回も生産ラインを停止して行われているそうです。
女将の感謝
さて、感謝の話に戻しますと、横川駅に電車が到着したら、駅のホームでは、女将といっしょにスタッフたちが炊き立ての峠の釜めしを販売したあと、電車の出発とともに電車が過ぎ去るまで、従業員全員が何度も何度も頭を下げていたそうです。
販売スタッフたちは、女将やトモミ氏の背中を見て、自発的に挨拶をするようになっていったと思います。
一倉定先生が女将と話しされたときは、経営の極意を聞き出そうとしたら、「すべてお客様のおかげです」と、ポケットから数珠を出して拝み出すほどでした。一倉定先生は女将の態度に感心するばかりで、何も言えなかったそうです。
一倉定先生は、「お客様への本当のサービスとは、こういったことなのだな。」と経営の悟りを深められたそうです。
峠の釜めしが生まれたのは、女将が徹底して聞き取り調査を行った結果でした。一倉定先生が述べるところの、「徹頭徹尾マーケット」の姿勢も伺えます。
高見澤みねじの経営判断については、とても勉強になるので、別の機会で荻野屋の詳細と併せて述べたいと思います。
まとめ
お客様への感謝の気持ちを伝えるということは、とても大事なことだとわかりました。また、いくら挨拶が良くても、他の企業ができている当たり前のことができていなければ、お客様はそっぽを向いてしまうこともわかりました。
お客様からのクレームは、お客様を大事にすることの現れでもありました。しかし、サービス内容をイノベーションしていく場合には、経営理念やコンセプトが大切だとわかりました。
いろいろなエピソードから、さまざまな教訓を学ぶことができます。失敗したとしても、それが後世の人が活かせたら、その失敗も意味があったのだろうと思います。
本物のサービスとは、お客様に貢献すること。そこにある姿勢は、徹底した顧客主義であること。その社長の徹底ぶりを従業員が見て、従業員が自然と教育されていくものだと思いました。
みなさまは、これらのエピソードから、何を教訓として得られたでしょうか?
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この記事の著者
経営・集客コンサルタント
平野 亮庵 (Hirano Ryoan)
国内でまだSEO対策やGoogleの認知度が低い時代から、検索エンジンマーケティング(SEM)に取り組む。SEO対策の実績はホームページ数が数百、SEOキーワード数なら万を超える。オリジナル理論として、2010年に「SEOコンテンツマーケティング」、2012年に「理念SEO」を発案。その後、マーケティングや営業・販売、経営コンサルティングなどの理論を取り入れ、Web集客のみならず、競合他社に負けない「集客の流れ」や「営業の仕組み」をつくる独自の戦略系コンサルティングを開発する。