社長の夢実現への道

社長に大切な「商売のあり方を考える機会」

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ときどき商売のあり方を考える機会を持つことが社長には大切

「商売の在り方」とタイトルに書いてありますが、その正しさを追求することは実に難しいことです。なぜなら、商売の在り方という言葉自体が曖昧ですし、改善にキリがないし、見直すタイミングも正しさもあるなど、実態をつかむことが難しいためです。

一つ言えることは、商売の在り方の正しさは、もちろん顧客に価値を提供することです。顧客は何に価値を感じて、何を求めているのかを追求することです。

なぜ、このような難しいことをコラムにしてみるチャレンジを考えたかた申しますと、私の尊敬する松下幸之助先生の著書「折々の記 人生で出会った人たち」(PHP研究所、1983年)を読んだことがきっかけです。

松下幸之助先生のことを知らない人はいないことでしょう。若い方がこのコラムをお読みになられるかもしれませんので、少しだけご紹介しますと、松下電器(現パナソニック)を創立され、一代で世界を代表する家電メーカーにまで成長させた方です。数多くの貴重な書籍を残され、多くの社長や事業家に影響を与え、経営の神様とまで言われています。

松下幸之助先生のお知り合いでもある、20才ほど年上の松永安左ヱ門先生のことについては、以前にコラム『電力の鬼 松永安左ヱ門に学ぶ意思決定術「天下国家のため」』で述べました。

チームコンサルティングIngIngで開催しているセミナーで用いる資料集めとして、松下幸之助先生と松永安左ヱ門先生のご関係を調べていたときに、折々の記の中で、松下幸之助先生が松永安左ヱ門先生を雑誌「週刊朝日」(朝日新聞出版、昭和41年1月21日号、1966年)の取材で対談したときのエピソードが載っているということで、この書籍を入手しました。

「せっかく取り寄せた書籍なので、ざっと読んでみよう」と、書いてある内容を全体的に眺めていました。その中に、松下幸之助先生が晩年に掛けられておられたメガネを作ってもらったときのことが記載されていました。そのエピソードを読んで、『社長に大切な「商売のあり方を見直す機会」』というタイトルのコラムをどうしても書きたい気分になりました。

松下幸之助先生のメガネ

松下幸之助先生のお写真でよく目にするものは、庭園の中をスーツ姿で散歩されている写真です(こちらのページを参照)。折々の記の表紙をめくったところに、その写真があります。太い黒ぶちの四角いメガネで、お顔にしっかりとなじんでいます。

さて、この写真が撮影された場所は、「真々庵(しんしんあん)」という京都の庭園です。現在はパナソニックの所有で、迎賓館として使用されており、そこにはお茶室もあります。

松下幸之助先生が松永安左ヱ門先生と、京都にある光悦寺でのお茶会で初めて出会ったときに、真々庵にお招きしたことが、PHPの資料にも残っています。松永安左ヱ門の来庵と接待の様子――PHP活動〈49〉(さすがPHPです。ホームページのURLの拡張子が「.php」というこだわりようです。)

メガネの話ですが、その真々庵での有名なお写真で松下幸之助先生が掛けておられる黒ぶちの四角いメガネが、折々の記に記されているメガネ屋さんで購入されたものです。

松下幸之助先生は、そのメガネをたいそう気に入られ、生涯、そのメガネを使用されたようです。また、メガネを新調したいときは、同じメガネ屋さんで購入されたと聞きます。

このメガネ屋さんは、今では流々と拡大されている、富士メガネという名前の会社です。松下幸之助先生が訪れた狸小路本店は、札幌にあります。JR函館本線札幌駅から南に1kmほどのとのところで、大通公園を超えて、狸小路商店街というアーケードの中に入ったらすぐのところです。

松下幸之助先生が、狸小路本店に訪れたときのエピソードが富士メガネのホームページに掲載されています。

富士メガネ、金井武雄氏からの手紙

それだけ気に入ったメガネを、どのようにして手に入れたのか、気になるところです。セミナーを開催するために札幌に行っていたことは分かりますが、その最中にメガネを新調するとも思えません。

そのきっかけは、富士メガネの創業者、金井武雄氏からの一通の手紙だったそうです。

その手紙の内容を、折々の記から引用いたします。

実は先日のテレビであなたのお姿を拝見しましたが、あなたのかけておられたメガネは、失礼ながらあなたのお顔にあまり合っていないように思います。ですから、もっとよいメガネにお取替えになった方がよろしいと思います。

内容を見ますと、一見失礼な内容です。普通の人であれば腹が立つことでしょう。しかし、松下幸之助先生は、「わざわざ北海道からこんな手紙をくれるとは、世の中にはずいぶん商売熱心な人がいるもんやなあ」と感心されたそうです。

この手紙の内容にある「テレビ」とは、新幹線の開通についてのテレビ番組でした。当時、国鉄(現在JR)の総裁であった石田礼助先生(1886~1978年)が、試運転が行われている新幹線に東京駅から乗って、松下幸之助先生が新大阪駅で迎えるという実況中継だったようです。1964年のことです。

石田礼助先生の肉声がNHKのテープ「NHKカセットブックシリーズ 肉声できく昭和の証言 経済人編2」に残っています。この肉声は、実は松永安左ヱ門先生の肉声テープの裏面に収録されています。折々の記の中には、石田礼助先生との対談でのエピソードも書かれており、松下幸之助先生は石田礼助先生の国を思う気持ちに、非常に心打たれたそうです。

なお、「NHKカセットブックシリーズ 肉声できく昭和の証言 経済人編1」には、松下幸之助先生の肉声が収録されています。

またメガネの話からそれてしまいましたが、松下電器は関西エリアですので、富士メガネのある札幌から遠いし、松下幸之助先生は全国を飛び回っている忙しい方ですから、わざわざ札幌にメガネを作りに行くことなんてありえません。ましてや、松下幸之助というBIGな方に、札幌のお店に来てもらうようには思っていませんし、それらを承知でのお手紙だったことが推測されます。まさしく、金井武雄氏には、別の意図があったようです。そのことについては、後ほど触れたいと思います。

なぜこのメガネなのか?

テレビに出演された翌年1965年5月、松下幸之助先生は、札幌で講演をする依頼を受けて北海道に出かけました。すると、偶然にもその講演会に富士メガネの金井武雄氏が出席されていました。講演が終わったあと、金井武雄氏からわざわざ面会を求められたようです。折々の記には、金井武雄氏は次のように述べられたと書いてあります。

私は、この間あなたにお手紙をさしあげた富士メガネというメガネ屋ですが、あなたのメガネはあのときとまだ同じようにお見受けしますので、ぜひ直させていただきたい。

松下幸之助先生は、その熱心さに、あらためて驚かされたそうです。金井武雄氏は、ドキドキしながら松下幸之助先生に面会を求められたことでしょう。松下幸之助先生は、「あなたのおっしゃる通りにいたしましょう」と素直に、メガネを新調することにしたようです。

そして出来上がったのが、あの有名な写真の黒ぶちの四角いメガネです。

メガネを作るときには、忙しい時間の合間をぬって、宿泊のホテルにて見本のメガネをかけて具合を細かく見たり、角度や長さ、幅を丁寧に調べ、便利なメガネの提案をしたりと至れり尽くせりで、ついには一切を金井武雄氏におまかせされたそうです。

1965年以降の新しいメガネの顔写真と、1964年以前の古いメガネの顔写真を比較すると、確かに新しいメガネを掛けた顔写真の方が、若々しく見えて、笑顔が素敵です。

商売の仕方を見直す機会

また、古いメガネはだいぶ前に作られたものなので、目の具合が変わっていると予想し、「10分だけで結構ですから、私の店にお立ちよりいただけませんか。あらためて目の具合を調べたいのです」ということで、10分ぐらいなら何とか都合が付きそうなので、大阪へ帰る前に立ち寄ったそうです。

このエピソードからも、松下幸之助先生の多忙さと、スケジュール管理をしっかりなされているご様子がうかがえます。

松下幸之助先生が富士メガネ狸小路本店に訪れられて驚かれています。それは、普通のメガネ屋だろうと思っていたところ、札幌の繁華街の中にあり、メガネの百貨店というような実に堂々とした構えで、予想をはるかに上回る立派なものだったそうです。

二階のホールでは、メガネが出来上がるまでテレビを見て待つことができ、30人ほどのお客様がいたそうです。検眼をする部屋には、今まで見たことのない世界でもっとも精度の高い機械がずらりと並んでいたそうです。

また、お店には30人ばかりの店員がいたそうですが、その働きぶりが実に見事だと賞賛されています。 店員の働きぶりについては、20代~30代の若い人たちが、実にキビキビとしていて、見ていて気持ちよく感じたそうです。そして、店主である金井武雄氏は忙しく店内を見回っていて、とても活気がみなぎっていたそうです。

折々の記には、このように感じたと書かれています。

そうした光景を見てぼくは、なるほど商売というものはこのようにやらなければいけないのだな、またやればできるものなのだな、とあらためて教えられた気がしたのでした。

松下幸之助先生は、何か物を購入するとき一つを取っても、そこから何かを学ぼうとされているご様子がうかがえます。

私自身、ある先輩経営者の方から、「すべての買い物は投資だ」とアドバイスをされたことがありました。例えば、コンビニに行ったとき、居酒屋に行ったときなど、そのようなときにでも、商売のやり方を確認して、それを自分の商売に活かすことができないかを考えることです。まさに、松下幸之助先生は、すべての買い物が、そこから何かを学ぶことができる投資だったのでしょう。

商売の在り方を学ぶ機会

松下幸之助先生は、とても忙しくしている金井武雄氏が、なぜ、わざわざテレビに映った自分を見てすぐに手紙をくれたのか疑問に思われ、その理由を尋ねられました。すると、金井武雄氏は

松下さんは外国へ行かれることもあるでしょう。それが困るのです。もし松下さんがあのメガネをかけてアメリカへ行かれたならば、アメリカのメガネ屋に、日本にはメガネ屋がないのかと思われてしまいかねません。そんなことになれば、これは国辱ものです。ですからそれを防ぐために、私は失礼を顧みず、あえてあんなお手紙を出させていただいたのです。

金井武雄氏の事業は、メガネ屋という小さなお店かもしれませんが、松下幸之助先生という人物を通じて、日本にはレベルの高いメガネ屋があることを世界に示すことができます。

小さなメガネ屋さんの店主で、国のことを思いながらメガネを売っている人がどれだけいるでしょうか。おそらくは少ないことでしょう。先ほど述べた石田礼助先生のような国鉄の総裁のようなお立場の方が、国を思う気持ちはわかります。松下幸之助先生は、金井武雄氏の気持ちに心打たれ、「世界一のメガネ屋さんだ」と称賛されています。

新幹線の開通は、世界最高の日本の技術を世界にアピールできました。現在でもそうです。それと同様に、金井武雄氏は、世界最高の技術とサービスで、日本の経済発展に貢献したかったのだと思います。

富士メガネのホームページには企業理念のページがあります。そのページの見出しに、「見る喜びを、国内外へ、これからも。」と記載されています。

メガネを通じてお客様に価値を提供することはもちろんのこと、それを世界に広げていきたいこと、そしてメガネ屋として生き続ける決意を感じます。当時、まだ小さなメガネ屋であったとしても、世界のことを考えているという、商売の在り方を学ぶことができます。

もしかしたら、松下幸之助先生は、見る喜びだけでなく、見られる喜びも感じたのかもしれません。

仕事はどうしてもマンネリ化していきます。事業もマンネリ化していきます。その中で、「自分たちが仕事を通じて、世のため人のため、天下国家のために何ができるのか?」を考え続けること、徹底して仕事に打ち込む態度を終始一貫して持ち続けることの大切さを教えてもらえました。

松下幸之助先生は、金井武雄氏から、事業の在り方を教えていただく機会となりました。それが、書籍として残っていることで、現在の私も事業の在り方を学ぶ機会となりました。

松下幸之助先生は、折々の記の中で、「おみやげまであげなければ気がすまないようにさせられた金井さんのこの商売ぶり」と述べています。この書籍には記載されていませんが、そのおみやげとは、ラジオだったようです。

このコラムが、貴社の事業の在り方を考える機会となれば幸いです。

この記事の著者

平野亮庵

経営・集客コンサルタント
平野 亮庵 (Hirano Ryoan)

国内でまだSEO対策やGoogleの認知度が低い時代から、検索エンジンマーケティング(SEM)に取り組む。SEO対策の実績はホームページ数が数百、SEOキーワード数なら万を超える。オリジナル理論として、2010年に「SEOコンテンツマーケティング」、2012年に「理念SEO」を発案。その後、マーケティングや営業・販売、経営コンサルティングなどの理論を取り入れ、Web集客のみならず、競合他社に負けない「集客の流れ」や「営業の仕組み」をつくる独自の戦略系コンサルティングを開発する。

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