コンサルタントへの道

近鉄の中興の祖 佐伯勇に学ぶ意思決定術「独裁するが独断はせず」

投稿日: / 最終更新日:

危機の時代を乗り切るための知恵を求めて

近鉄の電車

最近、明治期に生まれた大経営者、名経営者の方々が書かれた書籍や会社の社史などを集めています。理由は、昔の大経営者、名経営者の先輩方は、どのように未曽有の危機を乗り越えていったのか、そして、未曽有の危機を乗り越えて会社を成長させていくことができたのかを探るためです。

今回ご紹介したい大先輩は、佐伯勇(さへきいさむ、1903~1989)です。

佐伯勇の経営哲学は、「運をつかむ」という本に集約されています。昭和55年(1980年)に発刊されたこの書籍は、いまだに色褪せず、リーダーのあるべき姿や、危機から脱出して優良企業に成長させるための方法が学べます。何度読んでも感動に包まれます。

この本の中で、私が気に入っている言葉が、この記事のタイトルにもした、「独裁はするが独断はしない」です。この時の態度は、「階級も衣冠束帯も問わず衆知を集めた独裁」です。後ほど、詳しく説明いたします。

「独裁」と聞くと、あまりいいイメージでないかもしれませんが、当時の時代性でのこともあります。戦前や戦後間もない頃に活躍した経営者は、強力なリーダーシップを持った経営者が多かったように思います。

近鉄を超優良企業に育てた名経営者、佐伯勇

佐伯勇が生まれたのは明治36年(1903年)です。その翌年に日露戦争が、20年後には関東大震災あった、そのような時代でした。

近鉄は「近畿日本鉄道」というのが正式な名称です。創業が明治43年で、前身の社名は「奈良軌道株式会社」でしたが、すぐに「大阪電気軌道」に改めました。その後、戦争終結1年ほど前の昭和19年に、近畿日本鉄道に引き継がれたようです。

佐伯勇は、大正2年(1913年)に大阪電気軌道に入社し、そこから近鉄一筋で会長まで上り詰めることになります。当時は9才ですので、まさか近鉄の社長や会長までやるとは、夢にも思っていなかったことでしょう。

社長になったのは昭和26年(1951年)です。今の私と同じ年齢の、47才のときです。そこから、20年以上も社長をやり続けることになります。その間に、さまざまな危機が、近鉄を襲うことになります。

勘による独裁

昭和34年(1959年)、突如として近鉄を天災が襲い、経営危機に陥ります。伊勢湾台風です。この被害によって、木曽川の堤防が決壊し、線路や駅が水浸しになり、名古屋-桑名間の約20kmが不通となります。実際に、水は2カ月間も引かなかったとのことです。

そのとき、佐伯勇はローマに出張していました。おそらく、開通して数年のローマ地下鉄の視察に出かけていたのでしょう。1週間もしたら水は引くだろうと考えて、その後はパリに滞在します。パリにも地下鉄があるので、そこを視察していたのでしょう。

その間に何度か電報のやり取りはしていたのですが、パリで受け取った電報によると、「復旧の見込み立たず」とのことです。そのときに危機感を感じ、すぐさま「り災社員の救済は前例にかかわらず徹底的にせよ」と電報を返し、羽田に飛んで帰ることにしました。この電報の意味は、台風で家を流されてしまった700人もの社員全員に、「家を建ててあげろ」という社長命令でした。

佐伯勇が羽田に到着すると、すぐさま重役と合流して報告を聞きながら名古屋に移動し、そこからジープで木曽川まで向かいました。そして、木曽川にポツンと浮かぶように残っていた鉄橋を見たその瞬間、「今こそゲージ統一をしよう」と決断されました。

重役たちは、社長のひと言に「え?」という感じだったでしょう。復旧ができるかどうかというときに、新規事業の建設を同時に行う決断をしているからです。

ゲージとは、電車の車輪の幅のことです。近鉄の主力は、大阪-名古屋間でしたが、途中でゲージが異なっていたので、途中の中川駅で電車の乗り換えが必要でした。これは、お客様に大きな負担となります。そこで、近鉄中川駅から名古屋駅の間の約80kmを、ゲージ幅を広げるために、資材の調達や新しい鉄橋の建設などの準備は以前から行っていました。

佐伯勇の独裁は、単なる当てずっぽうの山勘でなく、準備の進み具合、タイミング、社員のモチベーションなども加味しての勘だったのです。

衆知を集めた独裁

佐伯勇流の独裁には、「独断はぜす」ということです。これをまとめると、次のような手順で独裁を行ったようです。

  1. 調査・研究に十分な時間をかける
  2. そのための費用を惜しまない
  3. 階級も衣冠束帯も問わず、社内の衆知を集める
  4. 社内だけの知識で足りないときは、社外の人や知人、専門家などの意見も十分に聞く
  5. 自分の考えが正しいかどうか確かめ、誤りがあるときは正す
  6. 自分の1つの目標に向かって、修正して具体化していく
  7. いざ最終の断を下す際は、社長自ら断固として決定する

意思決定には「決定」と呼べるものと、「決断」と呼べるものがあります。この2つの違いを説明するものはいろいろとありますが、一倉定先生によると、決断は先行きが不透明なところに突き進むようなものです。決定はいくつかの選択肢から選ぶことです。

佐伯勇が述べる独裁とは、社長自ら断固として決定することです。そして、独断とは、社長が山勘で決断をするものと言えます。

一般的に社長は決断を迫られることがあります。しかし、何も情報が無ければ、山勘の決断になりかねません。そこで、決断すべきところを、なるべく決定に近づけていくためには情報が必要になります。私たちコンサルタントの最大の仕事は、「社長に決断させないための知恵を授けること」です。

佐伯勇が用いた、「階級」や「衣冠束帯」という言葉は、冠位十二階を思わせます。聖徳太子によって、人物の徳によって階級に分け、それに応じた色の衣や冠などを身に着けたとされています。衆知を集める際は、部長や課長などの階級にとらわれてはいけないということです。佐伯勇は、普段から社員に対して「だれでも、知恵あるものは知恵を出せ」と言っていたようです。

ゲージ統一の成功は、目標を明確にした上で、それを独断せずに衆知を集めた独裁を行ったことにあります。

ゲージ統一と復旧の同時計画は、水が引くまでの1週間で衆知を集めて作らせました。そのときに、「『やらない』という提案は聞かない」と言われたそうです。つまり、未来ビジョン実現に向けてのチャレンジに対して、衆知を集めた独裁をしていたようです。

工事は、作業開始からわずか9日で完成したそうです。そのときに奮闘したのが、家を建ててもらった社員たちです。また、社長の思いやりと意気込みに感化された方々です。

その後の近鉄

ゲージ統一が完了した直後から、名阪直通特急が開通しました。これは、近鉄にとって大きな収入源になりました。ところが、伊勢湾台風から5年後の昭和39年(1964年)に新幹線が東京-大阪間で開通します。

近鉄特急は名古屋―大阪間は2時間ちょっと、新幹線なら1時間ちょっとです。これでは新幹線に太刀打ちできません。経営危機には一時的なものと、永続的なものがあります。伊勢湾台風による危機は一時的なものです。しかし、新幹線の出現は構造不況と言えるもので、それに太刀打ちできる構造をつくり上げない限り、危機は永続的なものになります。

そこで、佐伯勇はどのように考えて対応したのか。ここが、名経営者の考え方です。近鉄は、観光地や巡礼地の路線を有していました。確かに、名古屋-大阪間であれば負けてしまいますが、佐伯勇は「東京に住んでいる人たちが、旅行に手軽に来られる」と考えました。

新幹線の着工から開通まで5年程度あったため、その間に伊勢湾台風直後のゲージ統一をはじめ、京都への進出、各観光路線の特急網の拡張、首都圏での宣伝販売活動などを行い、経営危機を乗り越えました。

佐伯勇は危機を乗り越えたことだけが実績ではなく、顧客ニーズの変化に基づいた数多くの新しいことにもチャレンジし、日本初のものや世界初のものを実用化しました。その精神は、今の近鉄にも活きています。

佐伯勇の意思決定スタイル

「運をつかむ」から、佐伯勇の意思決定スタイルをまとめました。私の解釈が若干入っていますが、ご了承ください。

  • 必ず前進させるという信念や熱意を持つ
  • 運が必ずめぐってくると信じる
  • 普段からいろいろな勉強をし、情報収集して、勘を磨く
  • 顧客ニーズの変化をとらえる
  • 常日頃から大きな目標の達成を考える
  • そのための努力や準備をする
  • 社員を大切にする
  • タイミングを待つ
  • 大きな事業は、衆知を集めた独裁を行う
  • やると決めたら、そのことに集中する

これらの内容は、本のタイトルにもあるように「社長が運を掴む方法」でもあると思います。

「普段からいろいろな勉強をし、」と記載していますが、業界をリードする会社の代表として、さまざまなことに関心をお持ちだったようです。そのことは、佐伯勇は会長職に退いた1980年代の講演内容からもうかがえます。その中で、グローバル人材の育成やエネルギー問題、経済問題などにも言及されています。もちろん、近鉄バッファローズのオーナーであったことからも、関心事の広さがうかがえます。

衆知を集めるためには仕組みが必要

社員がアイデアを出せるようになったら、社員が成長し、会社も成長していきます。しかし、社員から信頼されていない社長が、「アイデアがあったら出せ」と言ったところで、アイデアが出るものではありません。社員がアイデアを持っていたとしても、そのアイデアを言うことに躊躇することが多いのです。

なぜなら、社長は、社長をしているだけあって、社員よりもアイデアマンであることが多いはずです。社員がアイデアを出したところで、社長から否定されることはあっても、褒められることは、ほとんどないからです。

社長が「社員に育ってほしい」と思ったら、アイデアを集めるための仕組みを、会社に取り入れなければなりません。「運をつかむ」の中には、衆知を集めるための仕組みにまで触れていませんでしたが、この本の中に、その仕組みづくりのヒントが見え隠れします。

最初に挙げるべきことは、社長の徳です。徳とひと言で述べても、さまざまな種類があります。佐伯勇からは、「学びの深さと広さ」「義理堅さ」「決断力」「思いやりの深さと広さ」などが、社長の徳となっているように思います。これらの徳は、すぐさま身に付くものではなく、9才のときに就職し、人生のほぼすべてを鉄道事業一筋に熱心に取り組んだことから得られていったものでしょう。徳のある社長の会社では、「社長のために」と奮闘する社員が多くなるのは当たり前です。

誰でもアイデアを出させたようですが、何でも良いわけではなく、一定の方向性があったように思います。つまり、佐伯勇は鉄道事業に対する広い知見を持ち、そこから導き出された近鉄の未来ビジョンを明確にし、その未来ビジョン実現のためのアイデアを出させたのだと思います。一定の方向性があると、社員もアイデアを出しやすくなるものです。

そもそもですが、社員が良質なアイデアを出せるためには、社員各々が普段から学習していないといけません。社員が普段から学習することも仕組み化されていたのでしょう。また、アイデアを出してくれた人には、褒賞や異例の抜擢などがあったのだと推測します。

チームコンサルティングIngIngでは、このような大先輩の事例を交えて、小さな会社の社長が会社を大きく成長していくための、さまざまな知恵を学ぶ公開セミナー「小さな会社の社長のためのセミナー」を定期開催しています。ご参加しやすいように、低めの価格設定をしています。ご興味のある方は、ぜひご参加ください。

平野亮庵

Web集客コンサルタント
平野 亮庵 Hirano Ryoan

ホームページを活用した最先端の集客手法をベースに、マーケット分析や集客企画、SEO対策、SEOコンテンツマーケティング、ホームページ制作等を行っています。チームコンサルティングIngIngでは、マーケティングと営業を担当しています。


「コンサルタントへの道」一覧に戻る

ページトップ