社長の夢実現への道

イノベーション7つの機会の中でやってはいけない8番目の機会

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アイデアによるイノベーションは要注意

思いつきのアイデアを商品化して起業しようと考える人は、たくさんいます。私の元にも、アイデアの商品化や、「新商品を開発したがどうしたら売れるか」といったご相談を何度かいただいたことがあります。

クラウドファンディングで資金を集めたり、ホームページでPRしたり、特許を出願したりすることが容易に考えられますが、ほとんどの場合は「止めておきなさい」とアドバイスすることになります。

マネージメントの父と言われるピーター・F・ドラッカー(1909年~2005年)や伝説の経営コンサルタントである一倉定(いちくらさだむ、1918年~1999年)も、アイデアの商品化を戒めてはいませんが、注意を促しています。

アイデアを商品化して起業することが難しい理由を、次の目次に沿ってご紹介しますので、そこからアイデアの商品化で成功するための教訓をつかみ取ってください。

イノベーションの7つの機会とは?

ドラッカーが、長いコンサルディング活動の調査・分析で、イノベーションを成功させるための判断基準となる、「イノベーションの7つの機会」というものを明らかにしました。

それは、簡単に述べると「このような事象があったときに、会社や商品をイノベーションさせられますよ。」という7つの機会です。ドラッカーのイノベーションとは、体系的廃棄のことです。

7つの機会の内訳

イノベーション7つの機会は、次の7項目です。

  1. 予期せぬ成功、失敗、外部の変化
  2. ギャップの発見
  3. ニーズの発見
  4. 産業構造の変化
  5. 人口構造の変化
  6. 認識の変化
  7. 新しい知識の活用

この順番は、イノベーションに成功しやすい順番です。予期せぬ成功や、予期せぬ失敗を発見することが、会社のイノベーションでもっとも成功しやすいものであると述べられています。

何か新商品や新サービスを開発したり、改善したりする場合、これら7つの機会の中で、多くの項目に合致するものであれば、成功しやすいと言えます。

7つの機会は、社長をはじめ、プロジェクト・リーダーであれば必ず知っておいてもらいたいものです。「ドラッカーのイノベーション7つの機会とは?わかりやすく解説」にてわかりやすく説明しています。

今回のコラムは、8番目の機会「アイデアによるイノベーション」です。

8番目の機会、アイデアによるイノベーションとは?

アイデアによるイノベーションとは、今までに存在しなかった新しい技術開発を伴う商品開発で、「新発明」という名称がふさわしいものです。その技術開発で実用新案や特許を取得するようなものです。

技術革新でアイデアは大事です。ドラッカーは、アイデアを出すことを否定はしていません。そもそも、第1~第7までのイノベーションの機会であっても、アイデアが大事です。

では、第8の機会で何を否定しているのか。それは、「閃きによるイノベーション」を否定しているのです。原著では「a bright idea」と表現されています。日本語にすうと、「閃き」と表現されているのですが、それを読み飛ばしてしまった方は「アイデアによるイノベーションはダメなのか?」と勘違いされていると思います。

さて、ドラッカーは、第8の機会「アイデアによるイノベーション」がもっとも可能性が低いので、「やってはいけない」とは述べていませんが、ラスベガスのスロットマシーンの例に例えてあります。

閃きのアイデアによるイノベーションをするためには、スロットマシーンを回し続けることと同じで、いずれはイノベーションできるだろうということです。

再現性がないことと説明ができないこと、属人性が高く予測ができないことで、誰にも合理的にイノベーションができないことに注意を促しています。成功する確率が500に1つほどと低いものと述べられています。

一倉定によると、「特許は、必ず売れることを約束するものではない。独りよがりの商品だ。」と称して戒めています。また、一倉定は特許製品に対して「万八(まんぱち)」という言葉を用いています。つまり、「売れないわけではないが、売れるものは万のうちせいぜい八つだ」ということです。

なぜアイデア(閃き)によるイノベーションは成功しにくいのか?

ドラッカーは、思いつきのアイデアによるイノベーションは、イノベーションに時間がかかりすぎることを指摘しています。

また、ドラッカーと一倉定に共通することとして、要するに「マーケットが重要だ」ということです。アイデアによるイノベーションが成功しにくい理由は、新しいアイデアには、いまだ市場がなく認知もされていないため、製造しても売れるかどうかの予測が難しいからです。

新商品が完成したら、それを市場に認知させ、「欲しい」と思ってもらえるようになるまで、長い時間、広告宣伝費がかかり続けます。

認知されだして市場ができてきたと思ったら、大企業が参入してくる可能性もあります。特許で守られているとしても、大企業はそれを突破することは朝飯前だと思ってください。

新しいアイデアが商品化され、研究費を回収できるものは、それこそ500に1つです。

ここでは、1つ目の機会から7つ目の機会を活用しながらアイデアを出すことを否定しているのではありません。反対に、アイデアは存分に出すべきです。思いつきだけのイノベーションは予測しにくいので、要注意であるということです。

アイデアによるイノベーションで売れたもの

ここで、2つの例を挙げたいと思います。本田宗一郎(1906年~1991年)が開発した自転車用補助エンジンと、トーマス・エジソン(1847年~1931年)が発明した電気トースターです。

言わずと知れたことですが、本田宗一郎は本田技研工業の創立者です。エジソンは電球を発明したことで有名です。

一見すると「思いつきのアイデアによるイノベーション」と思われるのですが、実はそれとは明らかに異なることをご説明いたします。

自転車用補助エンジンの発明(本田宗一郎の事例)

本田宗一郎の発明

終戦直後に本田宗一郎のアイデアによって生まれた「自転車用補助エンジン」、通称バタバタです。500台ほど生産したのですが、生産が間に合わないぐらいに飛ぶように売れました。

ある日、本田宗一郎が、昔から取引のある犬飼兼三郎の自宅に呼び出されました。そして、ハンドボールの玉ほどの大きさのエンジンを見せられ、「これを何かに使えないだろうか?」と相談されます。

本田宗一郎は、すぐさま「自転車に取り付けたら良いのでは?」とアイデアがひらめきます。

さっそくエンジンを自社工場に持ち帰り、自転車に取り付けて、本田さち夫人にテストドライブと称して、市場での買いものに行かせました。

今で言う「電動アシスト自転車」ならぬ「エンジン・アシスト自転車」の誕生です。

バタバタの噂はすぐさま浜松市中に広がり、市場に商材を運ぶ人たちに飛ぶように売れ、仕入れた500台のエンジンは10か月ほどで売れてしまったようです。

さて、ここで自転車用補助エンジンの商品化は、本田宗一郎の思いつきの「アイデアによるイノベーション」のように見えますが、7つの機会に当てはめると次のようになります。

1.予期せぬ成功

自転車用補助エンジンは、予期せず手に入れたものです。まず1台を自転車に取り付け、さち夫人にテストドライブと称して、市場に買い物に行かせました。突如、「バタバタ」と音を立てながら爽快に進んで行く自転車を見て、瞬く間に噂が広がり、本田宗一郎は「市場がある」と判断できました。

本田宗一郎は、その同型エンジンが500台ほども活用されずに放置されていることを知り、すぐさますべて手に入れました。

2.ギャップの発見

当時は全国各地にオートバイの販売店があり、オートバイを購入する人はいましたが、購入できる人は医者ぐらいだったと聞きます。庶民には、自動車もそうですがオートバイすら値段が高くて購入できませんし、ガソリンも配給制だったので、ガソリン食いの大型オートバイは使い物になりませんでした。

人々はオートバイが欲しかったのではなく、安価で手に入り、松根油で動く、輸送手段が欲しかったのです。このように、オートバイと顧客には大きな価値観ギャップがありました。

また、町工場レベルの企業では本格的なオートバイを製造するための工作機械を持っていなかったことが挙げられます。もちろん、本田技術研究所の設備も同様でした。

しかし、自転車用補助エンジンなら製造でき、それを自転車に取り付けることで、ギャップを埋めることができました。

3.ニーズの発見

市場の店員は、商品を運ぶ方法として主にリヤカーが用いられていましたが、それを人力もしくは自転車で引いていました。商品を産地から市場まで、長距離を運ぶことはたいへんな苦労です。終戦直後の道路は皇居前しか舗装されていなかったので、雨の日は道路がぬかるみ、商品を自転車で市場まで運ぶのに苦労しました。

そこに、労働力のニーズがありました。商品を仕入れる人は、輸送手段に飢えているほどでした。そこに、自転車用補助エンジンが投入され、労働力の助けとなりました。

4.産業構造の変化

戦後復興で商売が活気づいてきている時期だったので、輸送手段がますます重要になりました。多くの荷物が運べるだけでなく、雨で道路がぬかるんでも、バタバタなら荷物を運ぶことができるので、重宝されました。当時は、バタバタの運転には免許がいらなかったので、その手軽さもあって売れました。

5.人口構造の変化

焼野原だった浜松駅周辺が復興し、人が増えていました。闇市を中心に商売が活発になり、市場は繁盛していたそうです。

6.認識の変化

生きていくために精一杯だった時期を脱し、何か商売を始めたい人が増えていました。本田宗一郎も、その中の一人でした。

7.新しい知識の活用

新しい知識の活用には、通常であれば、忍耐とも言える長い開発時間が必要となります。

自転車用補助エンジンはすでに海外では存在していました。例えば、フランスのクレメント社やプジョーが1900年代初頭に開発した機体と酷似しています。本田宗一郎は、自転車修理屋の息子だったこと、自動車修理屋だったことなどから、戦前にこれらの機体に触れており、どのようにエンジンを釣り付けたら良いのかを知っていた可能性が高いです。

また、小型エンジンを自転車に取り付けるという新しい知識の活用でしたが、本田宗一郎にとっては、技術的に難しいものではありませんでした。

戦前には浜松一の自動車修理工でしたし、レーシングカーやモーターボートを開発していたほどの技術の天才でした。

小型エンジンを修理して、自転車に取り付けて機能させる技術をすでに持っていたため、商品化までの開発期間は数日ほどでした。

また、500台のエンジンをすべて販売し終えた後は、自社で小型エンジンを設計・製造し、エンジン性能向上やベルトコンベアによる生産性の向上を図りました。世界一のオートバイメーカーに飛躍していく、本田技研工業が誕生した瞬間でした。

8.アイデアによるイノベーション

小型エンジンを自転車に取り付けるという活用方法を思いつきました。しかし、海外では、以前から自転車用補助エンジンの市場があったため、「アイデアによるイノベーション」とは言い難いものです。

自転車用補助エンジンが飛ぶように売れたのは、8番目のアイデアによるイノベーションだけでなく、1番目から7番目の機会すべてに合致している商品だったからでした。

電気トースターの発明(エジソンの事例)

エジソンの発明

電球を発明したエジソンは電気を販売する電力会社を持っていました。そして、「どうしたらもっと電気が売れるだろうか」と電気の普及を考え、電気を用いたさまざまな製品を発明します。

その中の一つが、電気トースターです。

電気トースターの中には電熱線があり、電源を接続してスイッチを入れると内部が過熱され、時間が経過したら食パンが焼けます。ある意味、誰にでも作れそうなものです。それを最初に思いついた人がエジソンでした。

今でこそ、電気トースターやオーブントースターを持っていない家庭は、探すことの方が難しい時代です。「電気トースターが各家庭に1台入れば」と思うところですが、エジソンが電気トースターを開発したときは、朝に食パンを食べる習慣がなかったそうです。それどころか、ほとんどの家庭に電気が来ていなかった時代です。

エジソンは、電気トースターを売るために、「朝に、食パンを焼いて食べる習慣を持ってもらおう」と考えました。そこで、盛大にキャンペーン活動を行い、朝食にパンを食べる習慣を定着させることに成功しました。

このときの電気トースターの発明は、明らかに8番目のアイデアによるイノベーションです。

もともと電気トースターの市場はほとんどなく、「電気トースターを欲しい」と思う人は皆無でした。それを逆転させ習慣にまでさせたのですから、さすが情熱と汗とインスピレーションの人、エジソンです。大々的にPRするためには、財力もモノを言ったことでしょう。

なぜ、エジソンは数多くの発明をヒットさせていったのか。経営の神様、松下幸之助氏はエジソンのことを次のように語っています。

科学者でも勘がない科学者はダメやそうですな。本当の偉大な発明する人とか、またエジソンのような人はですな、まあ神のごとき人ですわな。結局彼の勘ですわな。

彼は、やはり電車の車掌とかね、汽車の車掌のようなことやったり、かま焚きなんかやったりしているうちにですな、ホッホッと浮かぶ。ひらめきですね、勘ですわな。

そのひらめきによって、やはり科学というものを創り上げたわけですわな、早く言えば。

https://www.youtube.com/watch?v=vr1mNoj3zQ4

Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration.
(天才は1%のひらめきと99%の汗である)

私は99%の汗、つまり、諦めずにやり続けるためには、「aspiration(大志)」が大切なのではないかと思います。

8番目の機会による商品開発の相談事例

何年か前の話ですが、パソコンのデスクワークをする人専用のクッションを開発した人から、知名度を高めて販売数を伸ばしたいとのご相談いただきました。

また、知り合いに制作してもらったホームページからの売上が少ないことも、悩みの一つだったようで、私のところにご相談に来ました。

その人には申し訳なかったのですが、これもコンサルタントの役割だと思い、即答で商売として成り立たないことを伝えました。

製品開発の経緯

その人は、お友達とクッションを開発したそうです。2人の担当はそれぞれ、次のものでした。

  1. 製品開発
  2. 製造と特許取得

ご相談を頂いた方は、製品開発を担当されていました。

お友達とのお茶をしながらの会話の中で、次のようなことを述べたと思われます。

  • ずっとパソコンで仕事をしている人がいて、腰や肩を痛めている
  • デスクワーク専用のクッションがあれば解決できる
  • クッションを製造してくれる人が、身近にいる
  • 特許事務所に勤めている私が特許を出して販売しよう
  • 販売はクラウドファンディングを利用しよう
  • 売れそう!
  • 私の知り合いにホームページを作れる人がいるから相談してみよう

その後、試作品が完成し、それを知り合いに使用してもらうなどして、反応は上々とのことでした。また、知り合いに作ってもらったデザイン性の高いホームページができ、クラウドファンディングでの販売も成功し、生産開始までこぎつけ、いくつか売れたところでした。

この段階で、私に「もっと売れるにはどうしたらいいのか?」とご相談いただきました。

私の予想

特許製品は商売として成り立たないことが、おおよその相場ですので、特許担当がいると聞いた時点で、「はい売れません」と述べたいところです。また、単品では事業になりにくいので、「はい収入ゼロです」と述べたいところです。

クッションの市場は、次のような性質があります。

  • 暗黙の市場価格がある
  • 機能性があっても、その市場価格にある程度束縛されるので、価格設定を高くしにくい
  • 認知されていない製品なので、広告宣伝費が高くつく
  • 耐久消費財なので、リピートしにくい
  • 結果、利益がほとんど出ない

開発担当だったその人からは、私の即答に納得がいかないため、市場予測を数字で説明し、ご自身のお給料さえ出ないことをアドバイスしました。

その後の半年間の結果は、おおよそ私がはじき出した数字の通りでした。

「成功哲学によると、何でも否定は良くない」とご指摘をいただきましたが、「私の否定にも屈せず、他の仕事をすべて止めてでも、このクッションを日本全国に売って回るぐらいの、本気度がないといけない。それが成功哲学なのではないか。」ということもお伝えしておきました。

仮にヒットした場合に起こりそうなこと

また、仮にヒットしたとしても、クッションは参入障壁が低いため、次のような現象が起こる可能性が予想されます。

  • 市場があることを競合が知ったら、類似品を出すに決まっている
  • こちらには特許を取得する能力はあっても、訴訟をする能力がない
  • 市場が育ってきたら大手が参入し、価格競争に陥る
  • 原価が高く生産性の低い業者は淘汰される

これは昔から起こっている世の常です。最後は強い者が勝つものなので、経営哲学と経営計画が必要になります。

コラム「丸正自動車製造の倒産理由から見える正しい経営理念とは?」をご参照ください。このコラムには、かつて本田技研工業とオートバイ製造で覇を競い、とても優れたオートバイを開発した企業が倒産していった、本田技研工業アナザーストーリーです。新製品開発で会社を発展させるためのヒントになるはずです。

この手のアイデアによるイノベーションを考えている人は、マーケティングに弱いことが気になります。「ホームページで販売したら良い」とおっしゃる人に、「どれぐらい売れると予想するのか?」と聞いても答えられませんし、場合によっては損益計算すらできていない人もいます。

しかし、万八で成功する可能性もあります。アイデアが実用化され、日本中に広がり、一攫千金を得ることは、夢のある話でもあります。

ご武運を祈ります。

この記事の著者

平野亮庵

経営・集客コンサルタント
平野 亮庵 (Hirano Ryoan)

国内でまだSEO対策やGoogleの認知度が低い時代から、検索エンジンマーケティング(SEM)に取り組む。SEO対策の実績はホームページ数が数百、SEOキーワード数なら数千を超える。オリジナル理論として、2010年に「SEOコンテンツマーケティング」、2012年に「理念SEO」を発案。その後、マーケティングや営業・販売、経営コンサルティングなどの理論を取り入れ、Web集客のみならず、競合他社に負けない「集客の流れ」や「営業の仕組み」をつくりる独自の戦略系コンサルティングを開発する。

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